学校の勉強なんて、なぜしなくてはいけないの?
などと、あなたは思うことはありますか?
私もそのように思うこともありました。
でも、学校の勉強って本当になんでしているのでしょう?
ある記事では、「世界の見え方を豊かにするため」と言っている方もいました。
というのも、「水」というものは、
- 算数を学べば、コップには200mlの水があると数字で表せる
- 理科を学べば、水が水素と酸素でできているとわかる
- 社会を学べば、水がどこから来たのか知り、世界にはきれいな水を飲めない人々がいることも理解できる
- 美術を学べば、水の反射や透明感を絵に描くことができる
- 音楽を学べば、水の量によって音が変わると気づける
- 体育を学べば、水が健康や生命に欠かせないことを知れる
- 道徳を学べば、水を人と分け合う大切さを学べる
- 英語を学べば、この話を世界中の人と共有できる
のだとか。
たしかに、「水」ひとつでこれだけの視点があるのは、とてもおもしろいですね。
これは、どの科目にも学ぶことのメリットがあると言えることでもあると思います。
でも、いくらメリットがあると言われても、わざわざ世界各地の学校で、同じような科目が学ばれているというのもまた、不思議な話だと思いませんか?
実は、私たちは、学ばないといけないのです。
なぜなら、生きていくうえで、どの科目も私たちに関係があるからです。
それは、一見関係なさそうな歴史や古文も同じです。
ただ「覚えなさい」と言われているように感じることもあるかもしれませんが、
どの科目にも、なんのために学んでいるのかという本質的な意味と、生きていくうえで役に立つことが、本当はたくさん詰まっているのです!
それぞれ、みていきましょう!
〇現代文学習の本質・学ぶメリット・あなたとの関係
現代文を学ぶ本質は、「共通ルール」を学ぶことです。
想像力を育てて、無限のとらえ方や見方を養うこともたしかに現代文では大切なことです。
しかし、実際に試験で問われるのは、実は「共通ルール」です。
現代文の解釈の力は「マイルール」でも「誰か流」でもなく、論理という「共通ルール」がどれだけ使いこなせるかの一点に尽きます。
だからこそ、「共通ルール」=論理という部分に現代文の実力アップに秘訣はあるものですが、こう聞くと、つまらないと思うかもしれません。
でも、「論理という共通ルール」の知識を蓄えることは、思いのほか人生を豊かにするものです!
<現代文を学ぶことで…>
現在から未来まで、
- 全科目に好影響を与える
- コミュ力があがる
- 対人関係がよくなる
- 読書がしやすくなる
- 知識量アップにつながる
- 思考力の武器が手に入る
そう、「言葉を解釈する力」というのは、実は相当万能なんです。
あなたがもしも言いたいことがあるときに、すんなり相手が聞いてくれたり、理解してくれたら嬉しくはないでしょうか?
同じように、あなたがもしもこの力に自信が持てるようになって、言いたいことをあなたが分かってくれたとき、友達はうれしいです。友達に限らず、本の作者でも、「相手の言うことがわかる」と、上に挙げたようなことは次々に叶っていきます。
他にも、「現代文学習」では、大人スキルの先取りもできてしまいます!
例えば、
- ビジネス/研究で使う<「事実」と「感情」の区別>の基礎が学べる
- 世界共通の議論方法の基礎が学べる
- 書類作成の基礎が学べる
などです。
このように、現代文とはただ単に「作者の気持ちを考える」ようなものではないのです!
現代文を学ぶことで得られるものは、意外と身近でも、将来的にも、たくさんあるんです。
あなたも、現代文を通じてあなたの人生を豊かにしていきましょう!
〇古文学習の本質・学ぶメリット・あなたとの関係
古文学習の本質とは、「私たちの原点」、「あなたとわたしはどこから来たのか」に触れることです。
「自分とは何か」ということを考えたことがある人は少ないかもしれません。
でも実は、あなたという人間は、あなたの周りの人との関係でできていくものです。
その中で、「あなたの像」ができあがっていき、「あなたの軸」がしっかりしていき、他者との関わりが生まれます。
そんなあなたには、先祖たちがたくさんいて、あなたの親御さんがいて、そして、あなたがいます。
さて、あなたとは何者でしょう?
こう考えたとき、それは先祖たちなしには語れないものです。
あなたとわたし、わたしたち、みんな「親、親の親、、、」がいて存在しています。
でも、「わたしたち」なんて誰だっていいじゃん、と思うかもしれません。
それもそうですね。
でも、あなたのグループや、あなたの学校には「色」や「特徴」がありませんか?
一方、ほかの学校やグループにも、何か違う「色」があるのではないでしょうか。
あなたのグループ、部活などにもし、いきなりよそのグループが入ってきて、色々と変わってしまったら、「あなたのグループ」を守りたくはなりませんか?
そうなると、「わたしたちはこう!」のように、「わたしたち」というものは、おのずと考えているものです。
実は「わたしたち」は日本人(の場合が多い)ですが、グローバル化やテクノロジーの発達で、「外国」という他者との関わりは避けては通れません。
このとき、「自分たちはこうだよ」と言うことは、どうしても語る必要があるようなものなのです。
その「自分たち」を知ることは、私たちのいまと未来に意味を持ち、それはすべて「過去」からきているのです。
私たちがどこから来たのかー。
それを知ることが、古文学習の本質です。
それに、私たちの先祖の世界に触れるのは、意外と面白いものです!
<古文を学ぶことで…>
- 同じ日本でも、古語から現代語のように言葉は変化していくものであると知れる
- 言葉は絶対ではないと知れる
- おじいちゃんのおばあちゃんのおじいちゃんたちの恋愛事情が知れる
- わたしたちのおじいちゃんのおばあちゃんたちと、時代を超えて交流できる
- 同じ日本人でも、時代が違えば理解することが難しいことも分かる
- 人でも物事でも「理解しようとする」という、人間力につながる
色々とありますね!
ラノベや映画、小説、ドラマ、映画の恋愛事情はなにかと面白いものですが、おばちゃんのおじいちゃんたちの恋愛事情も結構、面白いものですよ!
〇数学学習の本質・学ぶメリット・あなたとの関係
数学って、どこか人間離れしている気はしませんか?
なにか機械のような、人間味がないように感じる人も少なくないと思います。
ところが東大王というクイズ番組に出演していた、東大数学科博士課程の鶴崎さんは「数学には気持ちがある」と言いました。
…数字と気持ちとは、どういうことでしょう?
鶴崎さんによると、公式というものは、「あったら便利だな」を叶えたくて、先人たちが見つけてきたものだそうです。
数学とはやる意味がないようで、「あったら便利な思考の型」をそろえることができる科目…、と考えてみると、実はたしかにその通りかもしれません。
というのも、数学の考え方は、ビジネスだろうが日常だろうが、実は毎日のように使っているもの、使えるものばかりなのです。
例えば…
- 比較、相似形 → 具体的・抽象的に考える力
- 確率 → ゲームやスポーツなどでも選択の精度をあげる力
- 公式 → ショートカット、時間を省いて生み出す力
- ゼロに何を掛けてもゼロ → やるべきことの取捨選択をする力
- 同類項 → パターン化の力、整理整頓の力
- 場合分け→コンサルやマーケティングの基礎能力、日々や将来への選択「Aのときはこうする」を上手にする力
- ケアレスミス → 再発防止策を考える力
このように、ありとあらゆる場面で活躍するのが数学の考え方です。
もちろん、「○○%引き」など、日常のあらゆる場面で必要な力でもありますね!
〇世界史学習の本質・学ぶメリット・あなたとの関係
突然ですが、あなた自身のことを振り返ってみてください。
いまのあなたを形作っているものとはなんでしょうか。
幼稚園時代、小学生時代、…色々なことがあって今のあなたがいるはずです。
そして今も含め、それぞれの時代のあなたは、周囲の人々との関わりで形作られていたのではないでしょうか。
これらがあなたの歴史のタテとヨコです。
これらなくして今のあなたはいませんし、今のあなたを語ることはできないはずです。
世界史も同じです。
ここ日本で、いまあなたの周りで起こっていることは、連綿と続く日本のタテと、世界との関わりのヨコがあって初めて起きているものです。
あなたの世界を捉えること、これが世界史を学ぶ意味の1つです。
あなたのことに戻ります。
あなたが思い描くあなたの歴史と、あなたの友人や親御さんが語るあなたの歴史は、別物なのではないでしょうか。
これらはすべて、「事実」というよりも、「出来事と出来事をつないで描かれた物語」のようなものです。
実はこれが、歴史の本質です。
世界史とは「1853年にペリーが来航したこと」を覚える科目では本当はありません。
そのことに意味はほとんどないのです。
歴史は書き手の視点で紡がれた物語にすぎず、書き手が変われば語られる物語もまた変わることは、このように意外と身近な例からも分かりますね。
「あなたからみたあなたの歴史」と「誰かからみたあなたの歴史」が同じではないように、どこかの歴史もまた、見る側によって変わるものです。
例えば、「スターリンは粛清者」、「ポーランドは三国分割されたかわいそうな国」などという認識は、実はロシアやポーランドからの視点では全く異なります。
現在アメリカなどに存在する、中東やムスリムに対する悪という認識は、現地では同じではありません。
同様に、「日本からみた日本」、「アメリカからみた日本」、「ポーランドからみた日本」もまた、一緒ではありません。
そしてこのような現象は、私たちの日常でも全く同じように日々起きています。
あなたの友人や家族の間でも、何かのできごとに対し、言い分や捉え方が様々なことは、よくある話なのではないでしょうか。
このように、世界史もあなたの日常の歴史も、色んな歴史の事件の点と点を結び、誰かが物語にしているだけなのです。
これこそが「歴史」です!
それなのに、それを事実として認識してしまうのが人間というものです。
例えばニュースがそうです。
誰かが事柄を選んで紡いで語っていることに対し、それを、あるいはそれだけを事実として捉えてしまう人は多いです。
日常でも「誰かが言った」ことを、「事実」としてではなく、「誰かが言った」こととして捉えることは重要です。
仮になにかあなたが悪口のようなことを言われてしまったとしても、それをその通りに「事実」として受け止める必要はありません。それをどう捉えるかは、あなたに委ねられています。
さらに、報道される「ニュース」の裏には、報道されなかった「ニュース」も山ほどあります。
歴史もそうです。語られた歴史の裏に、語られなかった歴史が山ほどあります。
歴史は英語ではHistoryですが、根本はStoryです。
歴史は結局のところ、「ストーリー」と知ることが大切です。
「事実」ではない、語り手の視点次第で変わる、めくるめく展開の「ストーリー」という歴史の本質を捉えていくことを通じて、日常・情報・世界を捉える力を養っていくのが歴史学習の本来の役割です!
こうした力を養っていると、多角的に物事をみることにもつながりますし、情報のリテラシーも格段に上がります。日々の生活の中で、「事実」と「感情」を切り分けることは、思いのほか気持ちの面にもプラスに作用します!
ところで、誰かの話やドラマ、映画もストーリーですが、なかなか興味深いものですよね。
「歴史」もまた、「いまのわたしたち」につながるストーリーとして、見てみると、結構面白いですよ!
そして、「語られなかった歴史」はあるのだろうか?現地の人はどう思ったのだろうか?などと、視点を移しながら、あなたなりに「物語」を解釈してみてくださいね。
〇英語学習の本質・学ぶメリット・あなたとの関係
あなたはいま、あなたの町にいますね。
そこが、あなたのいまの土俵です。
そして英語を学ぶと、あなたの町から世界へ土俵が広がります。
英語を学ぶことは、世界へのパスポートを手にするようなものです。
日本にいるから外国語は興味がない、という人もいるかもしれません。
でも、もしも外国人に道を聞かれたり、困っている方を日本語ではない言語で助けられたら…?
なかなか素敵なことではないでしょうか。
そして、海外のスポーツ、芸能、映画、音楽、、、気になるものもあなたもあるかもしれません。
実は、日本人の英語力は2024年には、アジアでも下から2番目だという研究結果があります。
しかし、それは正しい方法論がいきわたっていないだけで、実際に学校英語をしっかりやれば、英語は必ず世界で通じるレベルになります。
そうなると、あなたも気になる欧米のスポーツや芸能のニュースも読み下せますし、外国の友達とLine感覚で話すこともチャットすることもできるようになるでしょう。
海外ドラマや海外映画だって、外国人のように楽しめるようになることでしょう!
小・中・高、これだけの時間を英語に費やして、英語ができるようにならない…なんていうのももったいない話ですし、せっかくやるのですから、是非ともあなたには世界で通じる英語力を身につけてほしいと思っています。
しかし、英語学習にはさらに、それ以上の大きな意味があると私は考えています。
それは、英語の学習を通じて得られる、「他者理解」の力のことです。
日本語には、日本語の絶対の流れやルールがあることに、私たちはあまり気が付いていません。
例えば、あなたが友人にこう言われたとします。
「昨日さー映画行ったんだけどさーめっちゃつまんなかったんだよねー」
このときあなたの頭の中では、
「昨日さー(どうした?)映画行ったんだけどさー(どうだった?だれと?なんの?)めっちゃつまんなかったんだよねー」のように、
先の予測をコンマ数秒で無意識に立てながら聴いています。
これは日本語の「当たり前の絶対の流れ」という、崩してはならない日本語の絶対のルールが前提にあって初めて成り立っています。
しかし、この絶対のルールは英語にもあり、それは日本語とは全くの別物なのです。
英語を理解していくことは、まずそのことの理解から始まります。(文法でいうと5文型のことです!)
日本語のルールを起点にするのではなく、英語のルールを起点にしない限り、英語は理解することができません。
そしてこのような「英語の絶対の流れ・ルール」とは、言い換えれば、「他者の論理・ルール」です。
この他者の論理・ルールというのは実はとても奥が深いものです。
まず、日本にも日本の論理とルールがあり、それらはあらゆる場面に存在しています。
しかし、その「日本ではこうだから」という考え方は、場所が変わると通用しないのです。
例えば「日本では左車線を運転するから」と、イギリスで左車線を運転すると、事故ります。
なぜなら、イギリスでは右車線を運転するからです・・・!
これは車の「日本のルール」に限った話ではありません。
あなたももしかすると、「自分はこうだから」を他者にあてはめてしまい、衝突したことがあるのではないでしょうか。
あなたの大切な価値観とも言いますが、突き詰めれば「あなたのルール・論理」と「誰かのルール・論理」がぶつかってしまったのです。
これらが私・あなた・誰かに存在している「論理」とその衝突の例です。
こうした「マイルール」というものは、人の数だけあるものです。
言葉でも同じで、日本語のルール、英語のルール、チェコ語のルール、ノルウェー語のルール…のように、無数に言葉のルールは存在しています。
このような無数の論理を前に、他者についてすべてを理解することはたしかに不可能に近いです。
しかし、この「他者の論理を知り、他者の立場に立とうとする」姿勢は、「マイルール」で他者を量るより、はるかに円滑な相互理解を生むものです。
そして、英語学習で何より大切なのはこの「英語の論理を知り、英語の立場に立つ」ことなのです。
だから英語を学ぶことは、他者理解の姿勢が養われることに繋がり、その意味は計り知れません。
しかも、それだけではありません。
英語をはじめとする外国語学習では、「言葉の限界と言葉の大切さ」を知ることにもなるはずです。
例えば、音楽でいうところの「ド」と「レ」の間、色でいうところの「緑」と「黄緑」の間には、本来は無数の音と色が存在していると思いませんか?
にもかかわらず、それらを指す言葉自体はこの2個しかないのです。
これは言葉の限界でもある一方で、「ド」や「黄緑」は表現できる幸運ともいえます。
言葉は無力ですし、大切です。
外国語を学ぶと、この「ドとレの間」のように、日本語では表現できない・表現しないものでも、外国語の「一単語」や「一フレーズ」が表すような場面に遭遇することもあります。
または、日本語にある表現でも、外国語では別の角度から捉えて、結果似たような表現をする場面に、出くわすこともあるのです。
わたしたちが「頭が痛い」というとき、「頭」に主眼がありますが、ボーランド語だと「誰かが頭を痛めている」というような表現になります。
「よろしくお願いします」、「いただきます」、「ごちそうさま」などは、実は英語では表現しない日本語独自の切り口です。
一方、Have a nice day.のように「いい一日を!」などと、あなたが朝にコンビニ店員に話しかけることもないはずです。
このように、言葉を学ぶと無数にある事柄に対する、新たな捉え方や切り口が増えていきます!
物事の切り口や捉え方の引き出しが増えると、「A=○○であるべき」という認識が、「A=○○のこともある、という見方もできる」などに変化していきます。
これもまた、あなた自身へのハードルを上手にコントロールすることや、人間関係においてもプラスに働く発想ではないでしょうか。
このように、言葉を学ぶということは、みんなが違うということを知りながら、誰かの立場に立ち、新たな世界の見方を増やしていくことなのです。
それは、あなたが国際人になること以上に価値のあることだと私は考えています。
さて、このようにしてみると、「学び」とは意外と役に立ちますし、奥が深く、面白いものです。
あなたもあなた自身で「面白さ」を探求して、世界観を豊かにしていってくださいね!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
